22歳で脱サラ起業し成功した裏側


■【其の27】22歳で脱サラ起業して成功した秘密

1726年7月23日。

私たちはグレイブゼンドの港を出港した。

この航海中の出来事については私の日誌を見るといい。
そこに全てが詳細に書いてある。

その日誌の中で最も重要な部分は、そこに記してあるはずだが、
将来の行いの掟とするために、船中で考え出した
開業して世間と交わってうまく生活していく為の、案だろう。

自分があんなに若かったころに、それを作ったこと、
しかも、ずっと老年に至るまでかなり忠実に守り通してきた
ことを考えれば、一層注目する値打ちがあるものである。


10月11日にフィラデルフィアに上陸してみると、
町の様子が随分変わっていた。

キースはもう知事を辞めており、ゴードン少佐が代わって
知事を務めていた。

私は、キースが一市民になって町を歩いているのに出会った。

私を見かけると、具合が悪い様子だったが、
一言も口を聞かずに立ち去ってしまった。

私もリード嬢に会った時には、同じように恥ずかしい気持ちを
抱いただろうから、無理もない。

もしも、身内の誰かが 私の手紙を受け取って、
もう私は帰らぬものと諦めて、私の留守中に彼女に勧めて
別の男と結婚させていなかったとしたら。

その男というのは、ロジャーズと言って陶器を作る
焼き物師だったが、結婚生活はまるで不幸せな様子だった。

しばらくすると 彼女はその男と別れ、その後男には別に
妻がいるということが分かった。

同棲することも、彼の姓を名乗ることも拒んだ。

彼は腕のいい職人で、彼女の身内の者はそこに惚れた。

だが、大した男ではなく、多額の借金を作っては逃げ出して、
西インド諸島へ渡り、そこで亡くなった。

キーマーは 以前より立派な家を手に入れ、文房具類や新しい
活字が たくさん揃った店を開業し、腕の立つ職人はいなかったが、
数名の職人を雇って、商売は繁盛している様子だった。

デナム氏は、ウオーター通りに開業し、私たちは持ってきた
荷物をそこで開いた。

私は精一杯 仕事を行い、簿記を習い、一時するとセールスも
玄人レベルに上達した。

私たちは、宿も食事も一緒にとった。

彼は心の底から私のことを心配して、父のように忠告を
与えてくれたし、私は私で、彼を尊敬していたから
このままなら、2人は非常に幸せに暮らしていけただろう。

ところが、1727年。

私が21歳になったばかりの年の2月始めに、
私たちは、2人とも病気になってしまった。

私は胸膜炎にかかり、もう少しで命を落とすところだった。

私はとても苦しみ、もう助からないと、心の中で覚悟を
していたので、息を吹き返した時には、逆に、思惑がはずれた
ような 気持ちになってしまった。

いつかまた、同じような苦しみを繰り返さなければならない
のかと、残念な気さえした。

デナム氏の病気が何かは忘れてしまったが、長い間、
彼に身体をむしばみ、いつしか命まで奪ってしまった。

彼は私に対する好意の印として、口頭の遺言で少額の
遺産を残してくれたが、店は遺言執行人の管理するところとなり、
彼と私との雇用関係は途絶えてしまった。

またもや私は、広い世間に投げ出されたのである。

この頃、フィラデルフィアにいた義兄のホームズは、
もとの職業に帰るように勧めた。

キーマーからは、年ぎめで 相当の給料を払うから、
印刷所の面倒を見てもらいたい、と言ってきた。

こうして彼自身は、文房具店のほうにももっと力を
入れるつもりだったのである。

私はロンドンで、彼の妻や身内の人から、彼の評判の
悪い事を聞いていたので、この男とは2度とかかわりを
持ちたくなかった。

そこで、引き続き商店で働きたいと思い、店員の口を探した。

だが、簡単に見つからないので、再びキーマーの印刷所で
働くことにした。

<数年で巨万の富を築いた方法 / 目先の利益の甘い罠>

by 上田真司

このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク livedoorクリップ Yahoo!ブックマークに登録

以下の記事も読むと、さらに成功習慣が身に付きます

タグ

トラックバック&コメント

この投稿のトラックバックURL:

コメントをどうぞ

このページの先頭へ