世界中から愛された男の交友関係


【其の21】ベンジャミン・フランクリの交友関係

私は、パーマーのところで、ウラストン(倫理学者)の
「自然の宗教」の第二版を組み替える仕事を行っていたが、
彼の理論づけには不十分だと思われる点がいくつかあった。

そこで私は、哲学関係の小論文を書いて、不十分だと思われる
ポイントを説いた。

表題を

「自由と必然、快楽と苦痛についての論」 とした。

 

私はこれを友人のラルフにプレゼントして、少部数印刷した。

パーマー氏は私のパンフレットに見られる物のあり方を
汚らわしいと考え、厳しく私を叱った。

だが、このパンフレットの影響で、パーマーは私のことを
なかなか才分のある青年だと思うようになった。

しかし、このようなパンフレットを印刷したことは、
私の間違いだった。

リトル・ブリテンに下宿していた頃、私はすぐ隣に店を
出していたウイルコックスという本屋と知り合いになった。

彼の所には、かなりの量の古本が集められていた。

 

当時、巡回文庫のような自動車に図書を積み、定期的に各地を
巡回して貸し出しをする公共図書館サービスは、まだ一般的に
行われていなかった。

だが、私たちは格好の条件を決めて、店の本はどれでも借りて
読むことが可能で、「読んだら必ず返す」という約束をした。

私はこの約束を、非常に好都合なものと考え、
できる限り利用することにした。

私のパンフレットが、どこをどう通ってか、外科医で
「人間判断無ゆう説」という書物の著者ライアンズの手に入った
ことから、私たち2人は、交友関係を持つようになった。

 

彼は、私を大変に 高く評価してくれ、何度か訪ねてきては
その問題について話をしたり、チープサイド(ロンドンの大通り)
の小道にある 不景気な居酒屋ホーンズ亭に連れて行った。

そこで、
「ミツバチ物語」の著者マンデビル博士を紹介してくれた。

博士は ここでクラブを作っており、自らその中心人物に
なっていたが、それというのも、常にひょうきんで面白い人
だったからである。

ライアンズはまた、バットソン・コーヒー店で
ペンバートン博士にも会わせてくれた。

この人は、いつか、サー・アイザック・ニュートンに
会う機会を作ってあげると約束してくれたのである。

これは、実に嬉しいことであったのだが、実現しないまま終わった。

 

私は、骨董品を少し持ってきていたが、中でも最も珍しいのが
石綿製の財布で、これは火にあてると白くなるのである。

サー・ハンス・スローン(ロンドンで最も有名な医者)が
これを聞きつけ会いにきてくれた。

そして、ブルームズベリ広場にある自分の家へ私を
招待してくれて、所持している骨董品を全て見せてくれた。

そこで、私を説得して代価を十分に支払う約束で、
財布もその中へ加えさせてしまった。

 

私たちの家に、店は確かクロイスターズという土地に出して
いたかと思うが、小さい雑貨屋の若い婦人が泊っていた。

この婦人は、とても上品な育ちで、物分かりもよく、陽気で、
話も面白い人だった。

夜になると、ラルフは脚本を朗読して聞かせるなどしたが、
やがて二人は仲良くなり、婦人が他の宿へ移るとラルフも
一緒について行った。

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by 上田真司

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