フランクリンの最初の人生失敗とは?


【其の15】フランクリンの人生失敗。それは…

ニューポートでニューヨーク行の客が何人か乗り込んだ。

その中に連れだって旅をしている二人の若い女と、
召使いを2.3人つれた、落ち着いて思慮深そうな
気品のある、年配のクエーカー教徒の婦人がいた。

おそらく、私が少しばかり世話をして 親切な態度を
見せたので、好感を抱いてくれたのだろう。

私と、若い2人連れの女性が日増しに親しくなり、
しかも、女性のほうから 積極的にアプローチしてくるのを見ると、
その婦人は、私を物陰へ呼んで 次のようにアドバイスした。

「若い方、あなたはおつれのお友達もいらっしゃらないようですし、
まだ世の中のことや、若者を取り巻く様々の危険なワナなど
あまりご存知ない様子だと見受けられます。

ですから、私は心配なのです。

私が引き受けてもよいのですが、あの人たちは悪女です。
振舞いを見ていればそれが分かります。

注意しないと、あの人たちは あなたを何かしら酷い目に会わせる
ことでしょう。あなたは、あの人たちの素姓を知りませんから。

私は、あなたの事を気遣って、親切心から申し上げるのですが、
あの人たちとは お付き合いならぬようになさいまし。」

初めは、私が女性たちの事を、婦人が思っているほど悪く
思っていない事を知ると、婦人は自分が見たり聞いたりした事や、
私が気付かなかった例をいくつか挙げた。

そのアドバイスの内容を聞くうちに、私も嘘ではないと信じ、
その親切な忠告に感謝して、それに従うことを約束した。

ニューヨークに着くと、女性たちは住居を教えて
会いに来るように誘ってきた。

しかし、私はこの誘いに乗らないで正解だった。

もう少しで、大きな人生失敗を犯すところだった。

 

というのも、あくる日、船長は1本の銀のさじと、
そのほか2.3の物品が船長室から盗まれていたことを
発見したからだ。

しかも、その女性たちが2人とも 売春婦だと知ったので、
その住居を捜索する許可を受け、盗まれた品々を見つけ出し、
ドロボウを処罰してもらったのである。

こうして航海の途中、船は 暴風雨や 水面下に隠れて見えない
岩や珊瑚礁に触れながらも、何とか船の破損をまぬがれた。

しかし、私にとっては、この女性たちの難をまぬがれた
事の方が、逆に 意味深いことであった。

 

ニューヨークで、私は少し前に着いていた友人のコリンズと合流した。

私たちは 子どもの頃からの親友で、同じ本を一緒に読んだものだ。

しかし、彼の方が 読書や研究の時間に恵まれていたばかりか、
数学に関しては、私を遥かに凌ぐ驚くべき才能を持っていた。

私はボストンにいた間仲、人と会話する暇な時間は、
ほとんど彼と一緒に過ごした。

彼は昔から、勤勉で 酒も飲まない真面目な青年だった。

学問も学んでいたため、牧師たちや その他の紳士たち
からも一目おかれる存在になり、いずれは並ぶ者がないほどの
偉大な人物になるだろうと思われていた。

 

ところが、コリンズは、私が留守の間にブランデーを
飲んでは泥酔する癖がついた。

ニューヨークへ来てからも 毎日酔っ払い、
賭博をしては、その度にお金を失っていた、

コリンズにとっては、人生失敗の1つだろう。

そのため、私は彼の下宿料を代わりに払い 途中の旅費も、
フィラデルフィアへ来てからの滞在費も肩代わりしなければ
ならなかったので、大変 迷惑 を被った。

 

バーネット宗教(イギリスの著名な聖職者)の子息で、
当時ニューヨーク植民地の知事だったバーネットは、
船長から 乗客の一人で書物を沢山積んできた若者がいると聞いた。

バーネットはそう聞くと、
「会いたいから連れてきてほしい」と船長に言った。

そこで、私は彼の所に訪問した。

もし酔っていなかったら、コリンズも一緒に連れていく予定
だったのだが。知事は大変手厚く私をもてなし、
その蔵書を見せてくれたが、なかなか立派なものであった。

 

私たちは、書籍や著者について いろいろと話し合った。

この方は、実力を認めてくれて優遇してくれた
2人目の知事で、それは 私のような貧しい少年にとっては
非常に嬉しいことであった。

やがて、私たちはフィラデルフィアへ行った。

その道中で私は、バァーノンの賃金を受け取ったのだが
これがなければ 私たちは、旅を終えることができなかった。

 

コリンズは、会社でも商店でもいいから働きたいと望んだが、
酒臭いのか、それとも動作からか、酒飲みであることがバレてしまい、
推薦状は何通も持っているのに、就職できなかった。

そのため、宿代も払えず 代わりに 私の費用で同じ宿に住み、
ただ 部屋の中でゴロゴロしているだけだった。

傍から見れば、人生失敗した人間の姿そのものだった。

私がバァーノンのお金を沢山借りることができたのを
知っているので、もしバァーノンから送金を求められたら
どうしたらいいものかと、私は胸を痛めた。

彼は、相変わらず飲んだくれており、
そのため、二人の間で ケンカが起こることもあった。

 

というのも、コリンズは酔うと 非常に怒りっぽくなるからだ。

ある時、数人の友人たちと一緒に、川にボートを浮かべて
順番でボートを漕いでいると、コリンズは順番が来ても、
「漕ぐのはいやだ」と言って全く漕ごうとしなかった。

「僕は漕いでもらって帰るんだ」と彼が言ったので、
私は、「君のために誰が漕ぐものか」と言った。

そういうと、コリンズは、

「君たちは漕がなくちゃだめだ。漕ぐのがいやで、
一晩中水の上にいたいと言うんなら、そりゃ君たちのご勝手さ!」

それを聞いた友人たちは、

「僕たちで漕ごうよ。大したことはないんだから。」

と 友人たちはそう言ったが、私は日ごろから彼の行いに対して、
気分を悪くしていたので、その意見に反対し続けた。

 

すると彼は、私に漕ぐか、漕がなければ水の中へ叩き込むぞと
脅しながら、腰掛の台を踏みつけて迫ってきた。

私は 彼が殴りかかって来た時、片手を彼の股ぐらへ突っ込んで、
そのまま立ち上がり、真っ逆さまに川へ投げ込んだ。

私は、彼が泳ぎが達者なことを知っていたから、少しも心配しなかった。

それどころか、彼がやっとのことでボートに手をかけようとすると、
私たちは2.3回漕いで、彼の手の届かない所へボートを進めた。

そして、再び、彼がボートに近付いてくる瞬間に、
また2.3回漕いではボートを引き離し、次のように声をかけた。

「どうだ!これでも漕がないのか!!」と。

 

彼は あまりの腹立たしさで、いっそ死んでしまいたい程だったのに、
意地になってでも、漕ごうとは言わなかった。

だが、次第にグッタリと疲れたため、仕方なく彼をボートに引き上げ、
夕方には、ズブ濡れのままつれて帰った。

この件 以来、私とコリンズは挨拶を交わすこともなくなった。

 

やがて、西インド諸島の船長で、バルバドス島のある紳士から
息子たちのために、家庭教師を探してくれと頼まれた。

偶然にもコリンズに出会い、連れて行っても差し支えないと
言ってくれたので、彼は、私から借りたお金は給料が入り次第、
直ちに送って返すからと約束して出発した。

だが、それきり彼の消息は完全に絶えてしまった。

この、バァーノンのお金を使い込んだことは、
私の、生涯の最初の大きな人生失敗の一つである。

私はまだ若すぎるから、大事な商売の経営をまかせるのは無理だ
という父の判断が、間違っていなかった事もこの人生失敗で分かった。

 

しかし、サーウイリアムは父の手紙を読むと、

「お父さんは人生失敗を恐れるあまり、用心深すぎる。

人間と言うものは、人によって非常に違いがあるもので、
分別は必ずしも、年とともに加わるものではなく、
また 若いからと言って、分別がないとは必ずしも言えない」

と言った。

「お父さんに独立させる気がないなら、私がさせてあげよう。
イングランドから取り寄せる品目を、書いて渡しなさい。

私から注文することにしよう。

お金は払えるようになった時に、払ってくれればいい。
私は、この土地に 立派な印刷屋が絶対に必要だと、
と思っている。 君ならきっと成功するだろう。」

この言葉には、誠実さが込められていたので、
私は、本気で言ってくれているのだと思い、少しも疑わなかった。

だから、人生失敗することも考えなかった。

<フランクリン、ボストンに帰る / 人間理解の重要性>

by 上田真司

このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク livedoorクリップ Yahoo!ブックマークに登録

以下の記事も読むと、さらに成功習慣が身に付きます

タグ

トラックバック&コメント

この投稿のトラックバックURL:

コメントをどうぞ

このページの先頭へ