フランクリン、ボストンに帰る


【其の14】ボストンに帰国

これには 私も少しばかり驚いたが、キーマーをふと見ると、
私以上に 驚いている様子で、あっけにとられていた。

しかし、私は知事とフレンチ大佐と一緒に 3丁目の角にある
料理店へ行き、マデーラ酒をご馳走になった。

お酒を飲みながら、知事は「印刷屋を開業したらどうか」と言って、
フランクリンは成功する確立が 高いことを伝えてくれた。

そして、フランクリンと フレンチ大佐の顔で、必ず両植民地の
官庁の仕事がとれるように、力を貸してあげようとも言ってくれた。

開業するとしても、父の援助が難しいと私が言うと、
サーウイリアムは、フランクリンのお父さん宛てに手紙を書いてくれた。

開業の利益をいろいろ説明して上げたら、お父さんもきっと
同意するだろうから、この手紙を持っていくと良いと言った。

そこでフランクリンは、知事から 父に宛てた推薦の手紙を受け取って、
ボストンへ帰国することに話が決まった。

 

最も、この計画は当分の間、3人の秘密にしておくことにして、
フランクリは、今まで通り キーマーのところで働いていた。

知事は、非常に名誉なことに、時々一緒に飯を食べようと
いって声をかけてくれて、しかもこの上なく愛想のいい、
親しく打ち解けた調子で、いろいろな話を聞かせてくれた。

1724年の4月の末頃、ボストン行きの小船があったので、
フランクリンは家族に会いに行くといって、キーマーに休暇をもらった。

知事は、父宛てに長い手紙を書いてくれて、私のことを褒め称え
フィラデルフィアで開業すれば、きっと財産を築くことができると、
可能な限り この計画を勧めてくれた。

 

港を下っている途中、船は浅瀬に乗り上げてしまったため、
小さな穴が空いてしまった。

しかも、沖へ出ると しけで波が荒れていたため、
休む暇もなく、ポンプで水を汲みださなければらなくなり、
フランクリンも順番でその作業を手伝った。

フィラデルフィアを出てから約2週間ほどかかったが、
無事、ボストンに到着した。

 

私は7ヶ月間もボストンを離れ、その間、家族は私の便りを
何も聞いていなかった。

というのも、兄のホームズはまだ帰っていなかったし、
別に、フランクリンのことで手紙を出してもいなかったからだ。

私が突然、姿を見せたので家族はびっくりしていたが 兄以外は、
帰ってきたことを手放しで喜んで、歓迎してくれた。

そして、フランクリンは兄に会いに印刷所へ行った。

 

私は、兄のところで奉公していた頃にくらべると
ずいぶん立派な服装をしていた。

頭から足の先まで上品で新品のものばかり。

胸には懐中時計を下げ、ポケットには英国の銀貨で
5ポンドぐらいは入っていたのだ。

だが、兄はフランクリンが帰っても 全く喜ぶ様子もなく、
私の装いをジロジロ眺めると、無言でまた仕事に取り掛かった。

職人たちは、フランクリンがどこへ行っていたのか、そこは
どんな土地で、気に入ったかどうかなどと、いろいろ聞いてきた。

 

私は、土地柄や そこで過ごした幸せな生活を褒めちぎり、
また、フィラデルフィアに帰るつもりだと話した。

職人の一人が、そこではどんなお金が使われているか、
と聞いてきたので、私は銀貨を1つ取り出してみんなの前へ
並べて見せた。

ボストンの お金は紙幣であるため、銀貨は見慣れないものであった。
そのため、彼らにとっては 珍しい見世物のようなものであった。

それから機を見て、懐中時計もみんなに見せてあげた。

兄にとっては、それが面白くないのであろう。
終始、不機嫌にふくれた顔つきをしていた。

そして最後に、スペイン・ドルを1枚飲み代に使って別れを告げた。

私のこの訪問は、逆に 兄の怒りに火をつけた。

 

それは、しばらくたってからのこと、母が仲直りの話を持ち出し、
兄弟の仲の良いところを見せて欲しい。

そして、今度こそ 兄弟らしく暮らしてくれるようにと
兄に頼んだところ、店の連中がいる前で あんな風に
オレを侮辱したんだから、許すことも忘れることもできない。

と、兄が答えたことからも 怒りの度合いが分かる。

しかし、これは兄の誤解である。

 

父は、知事の手紙を受け取って 少々驚いたようすだが、
私には、そんな事を一切言わずに2、3日してホームズ船長が
帰ってくると、すぐさまその手紙を見せたようだ。

そして、サーウイリアムキースという人を知ってるかとか、
どんな人物なのかと尋ねたりもした。

さらには、成年に達するのに まだ3年もあるフランクリンを
開業させたら 必ず成功する、などと考えるとは、
きっと 分別の足りない人に違いない、と思うと付け加えた。

ホームズは、この計画が成立するよう 精一杯とりはからって
くれたが、父には、この話がフランクリンには不適当であると
思っており、結局、キッパリと断ってしまった。

それから、父は サーウイリアムに丁重な返事を書いた。

 

恐れ多くも、フランクリンに目をかけて下さり感謝のほかありません。

しかし、準備のために莫大な費用を必要とするに違いない、
このような、重大なことの経営を任せるには、フランクリンは
まだ若すぎると思う。

ですから、現在は、援助して独立させる気はないと認めたのである。

親友のコリンズは、郵便局の事務員であったが、
フランクリンから新しい土地の話を聞くと、
すっかり気に入った様子で、自分も出かけようと決心した。

そして、フランクリンが父の決断を持っている間に、一足先に、
陸路ロードアイランドへ出発したのだ。

 

蔵書には、数学と自然科学の書物がかなり集まっていた。

だが、コリンズはニューヨークで待っているから、
フランクリンが来る時に、君の蔵書と一緒に持ってきてくれと言って、
蔵書の本は、そのままにして旅立っていった。

父は、サーウイリアムの提案には賛成しなかったが、
それでも、私が暮らしていた土地の有名人から、すばらしい評判を
立てられるまでになったこと。

また、賢明に働き お金の使い方に気をつけて、
ほんのわずかな間に、ずいぶん立派に身なりを整えたこと
などは喜んでくれた。

それで、兄と仲直りの見込みがないことを知ると、
父も、フランクリンがフィラデルフィアに帰ることを同意してくれた。

 

そして、その土地の人々に心を込めて接し 尊敬を集めるように
務め、たえず勤勉に働き、よく見極めて節約すること。

そうすれば、21歳になるまでには、独立して開業するだけの
ものは残せるだろう。また、もう少しで開業することができる所まで
くれば、残りは わしが助けれやろう、とも言ってくれた。

今度は、両親の同意と祝福を得た上で、再びニューヨーク行きの船に乗った。

 

その時、フランクリンが両親からもらったものと言えば、
愛情の印しとしてくれた、いくつかの小さな贈り物を除けば、
わずかにこれだけであった。

船が、ロードアイランドのニューボートに入港したので、
私は結婚して、数年間ここに住んでいる兄のジョンを尋ねた。

兄は、いつも私をかわいがっていたので、大喜びで私を迎えてくれた。

その兄の友達に、ビーノンという人がいる。

この人は、ペンシルべニアに植民地のお金で35ポンドほどの
賃金を所持していたが、そのお金を受け取って、
送金の方法を指示するまで預かって欲しいと、頼んできた。

そして、フランクリンは 支払命令書を渡されたのだが、
このことが、後に大きな心配の種となった。

<本音を聞き出すズル賢い質問法 / 最初の人生失敗>

by 上田真司

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