本格的に社会的活動を開始する。


【其の124】第9章 フランクリン、社会的活動を行う

講和条約 ( 戦争を終わらせる為の条約のこと ) が結ばれて、義勇軍の
仕事もひと段落したので、私は再度、社会的活動に力を注いだ。

具体的には、大学設置問題についてだ。

その社会的活動を行うにあたって、まず、私がとった手段は、
ジャントー・クラブの会員を主として、仕事好きの友人を数名集めて
この計画を実現させるために 参加させたのだった。

その次には、パンフレットに 次のような題名を書いて発表した。
『 ペンシルベニアにおける青年教育に関する提案 』 ─  と。

私はこれらを、無償で有力者たちに配布し、彼らがそのパンフレット
を読んで、少しでも心構えができた。と察したら、すぐに、社会的活動
大学の創設および、維持のための寄付金募集に取り掛かった。

寄付金は、5カ月分納という形にした。

 

なぜかといえば、分納にすることによって、お金の負担が軽くなる為、
その分、寄付金も増えるのではないか? と、考えたからである。

事実、分納にしたことによって、記憶が確かならば、寄付金は
5千ポンドぐらいだったか集まったはずだ。

私は、この社会的活動を行うという 提案の書き始めの中で、これらの
提案は、私が発案してすぐに発表するのではなく、社会一般の利益を
図ろうとする、心のある数人の 紳士の考えに元づくものである。

ということをことわり、つね日頃からの 世の中を上手く渡っていく
為の方針に従って、自分が 公共事業の企画者である。と、世間に
発表することを極力避けた。

 

社会的活動の計画を すぐに実行に移すために、寄付に応募してくれた
人たちは、自分たちの間から、24人の評議員を選出し、当時、
法務長官を努めていた「フランシス氏」と、私を、大学管理法規の文案を
作る起草者(そうきしゃ)に指名した。

文案を作る作業が終わり、調印( 条約や協定などの内容が確定すること )
が済むと、校舎を借りて、さらには、教授を招いて授業が始まった。

だが、同じく、1749年だったと思うが、学生はどんどん増えていって
しばらくすると、校舎が狭くなったので、私たちは新築するつもりで
どこか良いところはないか? と探して回った。

すると、神のはからいによってか、すでに 完成している建て物で、
少しリフォームするだけで、十分 使える物件が手に入った。

それは、前に言った、ホイット・フィールド氏の信者たちが建てた
建て物で、これが私たちの手に入ったことについては、次のような
事情があったからだ。

<フランクリン・ストーブを発明 / 契約を結ぶことに成功>

by 上田真司

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