フランクリンが大学設立した理由


【其の113】フランクリン、大学設立

私は、だいたいから言って、フィラデルフィアで開業したことに
心から満足できる確かな理由があった。

しかし、それでも、とても残念に思えることが2点あった。

満それは、“義勇軍”“大学” がないことである。

そこで 私は、1743年に大学設立案を作った。

そして、このような大学設立といった 公共機関の監督に、まさに
適任と言える人物がいた。その人物は、たまたま職がなくて
遊んでいたピーターズ牧師だと考えた。

そこで私は、この大学設立の計画を 彼に打ち明けた。

 

ところが、領主の仕事で この計画(大学設立)よりも、もっと
有益なことがあった為、(その後、その話はスムーズに行った。)
私の計画を断ってきた。

当時、このような仕事を 任せるに値する人物を、私は 他に
知らなかったので、この計画は、しばらく凍結することになった。

だが、翌年の1744年「 学術教会施設 」の提案は、トントン拍子に
事が運び、実現することができた。

このために書いた文章 は、私の書いたモノを全部集めてみたら、
きっと、その中に混じってあることだろう。

『 アメリカにおける イギリス領植民地の間に、有益なる
 知識を増進せしめることについて 』
というパンフレット。

 

町の防衛のことについて言えば、スペインは 数年前からイギリスと
交戦中であったが、やがて、フランスと連合した為 ※ 私たちは、
とても危険な目に さらされることになった。

かねてから、イギリスとスペインの間には、西インドおよび
 アメリカのスペイン植民地をめぐり、利害の対立が見られた。

だが、たまたま イギリスのキャプテン・ジェンキンズが、
西インド貿易に従っている中に、スペイン人に捕えられて
耳を切り落とされた事件が起こった。

その事件以来、その対立は表に現れ、ついに、1739年、
両国の間に戦いが始まった。

 

ところが、その後、まもなく オーストリア王位継承戦争が起こり、
イギリスは オーストラリアを助けた。

イギリスが オーストラリアを助けたが故に、スペインおよび、
フランスを 敵とした立った為、戦争はアメリカ大陸および、
インドにまで及んだ。

詳しく言えば、

「 明白な事実、フィラデルフィアの町、および ペンシルベニア
  植民地の現状についての重大な考察 」(1747年発表)

<金銭トラブルを未然に防ぐ方法 / “明白な事実”を公に発表>

by 上田真司

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