フランクリン、フィラデルフィア上陸


【其の11】ついに、フィラデルフィアに上陸

フィラデルフィアに入る

私は、以前は 船乗りになりたいと考えていたのだが、
この頃には、そんな願望はすでになくなっていた。

もしそうでなかったら、この際、それを満足させたかも
しれないのだが、ほかの職業を覚え しかも相当な腕だと
自任していた。

だから、私は、この土地の印刷屋、
老ウイリアム・ブラッドフォード氏に雇ってくれないか
と申し込んだ。

この方人は、ペンシルベニアの印刷屋の
草分け的存在であったが、ジョージ・キースの事件があって、
ここへ移ってきたのである。

ジョージ・キースの事件
キースがペンシルベニアのクエーカー教徒の有力者と衝突して
事件を起こした際、ブラッドフォードは彼の味方をして罰せられた。

 

彼は、沢山仕事があるわけでもなく、人でも十分揃っていたため、
私を雇うわけにはいかなかった。

しかし、

フィラデルフィアのそがれのところで、
近頃一番の働き手のアクイラローズ(詩人)に死なれたから、
そこまで行けば、雇ってもらえるかも知れない」

と言ってくれた。

 

フィラデルフィアと言えば、まだ100マイルも先である。
しかし、私はアンボイ(港町)行きの小船に乗って出発した。

トランクや、身の回りの者は、後から送ってもらうことにした。

ニューヨーク湾を渡っていると、強い突風が起こり
古う帆はズタズタに引き裂かれ、キル海峡に入れなくなった。

そのため、船はロングアイランド
(ニューヨーク州東南部にある島)へ吹き寄せられた。

その途中、同じ船に乗り合わせたオランダ人の酔っ払いが
海へ落ちたが、溺れそうになっていたので、私は水中に手を差しのべて
クシュクシュした髪の毛を掴んで、引っ張り上げた。

ずぶ濡れになったため、少し酔いのさめた彼は、
ポケットから一冊の本を取り出し、これを乾かしておいてくれ
と私に頼むと、そのまま眠ってしまった。

その本は、かねてから好きな作家である
作家バニャンの「天路歴程」のオランダ語版で、
用紙も上等であれば、印刷も立派で銅版の挿絵があった。

装丁は、今まで見たどの言語版よりも秀逸であった。

 

後になって知った事だが、この本はヨーロッパの
たいていの国語に訳されていて、恐らく聖書を除いて
こんなに広く読まれている書物は他にないだろう。

この誠実な著者ジョンは、私の知る限りでは、
地の文と会話とを分けずに交ぜて書いた 最初の人であるが、
この方法は読者にとって、非常に楽しい書き方である。

現に、最も興味深いストーリへさしかかると、
読者はいわば、作中で行われている会話の席に仲間入りを
許されたような思いがするのである。

デフォーは「ロビンソンクルーソー」をはじめ、
「モルフランダーズ」「聖なる求婚」「家庭訓」その他の著者で、
このバニャンの方法を真似て成功を収めた。

リチャードソン(小説家)も「小説パメラ」その他で
同様のことを行って成功している。

 

島に近付いてみると、そこは、大きな石のゴロゴロとしている岸に
大波が打ち寄せており、とても 船が着けられる場所ではなかった。

そこでイカリを下ろすと、やがて船は岸の方へ向けた。

そこへ、4.5人の人が浜へ下りてきたので大声で呼びかけると、
向こうでも、その呼びかけに答えた。

しかし、強風で しかも波の音が高い影響もあってか、
お互いの言う事が全く分からない。

岸辺にカヌーがいくつかあったので、私たちは身ぶりで、
それを使って連れにくるように呼びかけたが、
こちらの言う事が分からない様子である。

あるいは、分かっていても できない相談だと思ったのか、
みんな立ち去ってしまい、そうこうしているうちに 夜が近づいたので、
風が収まるまで待つことにした。

 

そうこうする中、船長と私は、眠れるものなら眠って
おこうではないかということに話を決め、まだ濡れたままでいる
先のオランダ人も、一緒に連れて狭い昇降口にもぐりこんだ。

だが、船先を越えてくる波の飛沫が、ボタボタと漏れてきてしまい、
私たちも、オランダ人に負けないくらい、ずぶ濡れになった。

こんな状態で、一晩中 横になっていたので、
休むことはほとんどできなかった。

それでも次の日には、強風がおさまったので、
まだ明るいうちに どうにかアンボイへ着く事ができた。

 

水上に漂う事30時間。

その間、食べるものもなく、塩水の上を渡っているのだから
汚いラム酒一本のほかに、飲むものは何もなかった。

夜になると、ひどく熱っぽかったのですぐに床に入った。

だが、発熱には冷たい水を 沢山 飲むのが良いと、
ある本で書かれてあったのを思い出し、その通りにやってみた。

すると、一晩中 汗を大量にかいたあと、すーっと熱がひいた。

そのため、夜が明けると私は渡し場を横切り、
そこまで行けば、フィラデルフィアまで船便があると聞いたので、
50マイル先のバーリントンへ向かって、徒歩で旅を続けた。

その日は、1日中ドシャ降り降りで、私はズブ濡れになり、
昼ごろには、すっかり疲れ果ててしまった。

そこで、とある安宿に足を止め、その夜はそこで明かしたが、
心の中では、少しばかり 家を出た事を後悔していた。

その上、いかにも哀れな格好をしていたため、
行く先々で、宿の者が聞いてくるので気付いたのだが、

「どこかの年季奉公から、逃げ出してきたのではないか」

と疑われ、その疑いから逮捕される心配もあった。

 

しかし、あくる日再び道中を続け、夕方には、
バーリントンから8.9マイル足らずのところにある
ブラウンという医者が行っている宿屋に着いた。

この人は、私が食事をしている間に話を始めたのだが、
私が多少は話の分かる男だと分かると
たしそうに打ち解けて、とても親切にしてくれた。

私たち二人の交友は、その後、彼が死ぬまで続いた。

このブラウンは、旅周りの藪医者だったのではないかと思う。

というのも、イングランドのどの町のことについても、
ヨーロッパのどの国のことであっても、彼に詳しい話のできる
所は一つもなかったからである。

多少は学問もあり、頭も良かったが とんでもない不信心者であった。

 

数年後のことだが、ちょうどコトン(イギリスの詩人)が
バージル(詩人)の詩について行ったように、
不謹慎にも、聖書をもじった狂詩を書いたものである。

こうして彼は、多くの事実を面白おかしくしたのだったが、
もし、公になっていたら、心の弱い人々に害を及ぼしたであろう。

だが、幸いにも、その作は公にされないですんだ。

その夜は、彼の家に泊まって 翌朝バーリントンに着いたが、
残念なことに、定期船が出たばかりで、この日は土曜日だったが、
次の火曜日までは、ほかに船はないということだった。

そこで、船の中で食べるつもりで、さきほとショウガ入りの菓子を
買った町の老婦人の所へ戻り、どうしたらいいのか相談した。

 

すると、次の便船があるまで、うちに泊まっていいと言ってくれた。
私は歩きくたびれていたので、その言葉に甘えた。

私が印刷工であると分かると、婦人は開業するには
どれだけ資本がいるのか知らないため、このままここで
商売を始めたらと勧めた。

とてももてなしのいい婦人で、非常に好意を寄せてくれて、
牛の頬肉のご馳走をしてくれた。

そのお礼に、ビール1本を受け取っただけであった。
こうして私は、火曜日までは動きが取れないと思っていた。

ところが、夕方河辺を歩いていると、
一隻の船が通りかかったので、聞いてみると、
数人の客を乗せてフィラデルフィアに行く途中だという。

私はこの船に乗せてもらった。

無風だったため、みんな漕いで進んだ。

 

だが、夜中頃になっても、まだ町の姿は見えなかったので、
一部の者は、もう通り越してしまったに違いないと言って、
漕ぐのをやめてしまった。

残った連中にしても、どこまで来てるのか分からないまま、
船を岸の方へ向け、本流に流れ込む川に入って、古びた柵の
ある近くに上陸した。

10月の寒い夜であったため、私たちは、その策の横木を
燃やして火を焚き、そこで夜が明けるのを待つことにした。

夜が明けると、1行の一人が ここはフィラデルフィアから
少し上流の、クーパー川だと言い出した。

だが、その川を出ると、すぐにフィラデルフィアの町が見えた。

こうして私たちは、日曜日の朝8時~9時頃フィラデルフィアに
到着し、マーケット通りの船着き場に上陸したのである。

<フランクリンの成功法則 / 成功する経営者と、失敗する人>

by 上田真司

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