孤児院を設立するまでの軌跡


【其の108】孤児院を設立するまでの軌跡

アイルランドで巡回牧師として有名な ホイットフィールド氏は、
われわれの土地を去り、各植民地を転々としながら 説教も行い、
ジョージア まで行った。

17334年。ジェイムズ・オーグルソープという博愛家が
 特許状をえて開いた南部植民地である。

 イギリス本国で、負債のため 監獄に入れられている人々に
 対して 更生の道を与え、また、カトリック教国において
 迫害を受けている新教徒に、避難所を提供すること。それが、
 彼の当初の目的であった。

 

この、ジョージアという地方の植民は つい最近に始まった
ところであった。

しかし、この植民地の人々は、このような 事業に対する唯一の
種類の人たち、つまり、労働に慣れた カラダも丈夫で 勤勉な農民
たちによって 開かれているのではなく、破産した小売商人や、
支払不能に陥った連中が行っているのだった。

また その多くは、牢屋から出てきたばかりの人が多いため、
身体に染み付いた“怠けグセ”が抜けていなかった。

そのため、森を切り開いて 農耕できる田畑にするというのに、
土地を切り開く力もなく、困難な 開拓事業に耐えきれずに、
命を落とす者が続出した。

それにより、後には、身よりの無い子どもたちが大勢 残される
こととなり、子どもたちの世話を してくれる人が 一人もいない
有り様であった。

 

慈悲深いホイットフィールド氏は、この悲惨なさまを見て、
ヒドク胸を痛め、この地に、孤児院を設立して 子どもたちを
育て、教育しようと思い立った。

ホイットフィールド氏は 孤児院を設立するため、
スグに行動に移した。北方へ帰って、この慈善事業を説いて廻り、
多額の寄付金を集めたのだ。

というのも、彼の説得力をもって力強く話す内容は、聞き手の
心と財布の紐に 不思議な作用を及ぼすほど 影響力が強かった。

かくいう私(フランクリン)自身も、その一人だった。

だが、私は 孤児院を建てる。という 計画そのものには 不賛成
ではなかったのだが、当時、ジョージアには 建築材料もなければ、
職人もいなかったのだ。

そのため、全くの0から、全てを莫大な費用を使って フィラデル
フィアから 資材も人材も送る。という案だった為、それよりも、
同じ孤児院を建造するならば、フィラデルフィアに建てる。

そして そこに、身よりのない子どもたちを連れてくる。
その流れであれば、より効率が良いと考えた。

 

その考えを、私は、ホイットフィールド氏に伝えたのだが、
彼は 頑なに最初の計画に固執し、私の意見を受け付けなかった。

そのため、私も寄付することを断ることにした。

その後 しばらくして、たまたま彼の説教に出席する機会があり、
彼の話を聞いていると、彼は、孤児院を建てた後で 献金を集める
つもりであったことに気が付いた。

それに気付いた私は、自分は一文も出すものかっ!と 密かに
腹を決めた。

<社会的活動を本格的に始動 / 孤児施設を計画した男との関係>

by 上田真司

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