ビジネスの常識を覆した男の、商売成功の秘訣


【其の7】商売成功の極意とは?

私はこうして2年間、つまり12歳になるまで父の商売を手伝った。

兄のジョンはこの商売を習っていたのだが、父のもとを出て結婚し、
ロードアイランドで開業したため、どこからどう考えても
私が兄の代わりに、ロウソク屋を継がなければならなくなった。

 

ところが、私は相変わらずこの商売を嫌っていたので、
もっと自分にあった商売をさせなければ、家を飛び出して
船乗りになってしまうのでは? と父は心配した。

これは、兄のジョサイアが以前に家を飛び出した事が
あったため、父はとても胸を痛めたのであった。

そこで、父は私の好みを見極め、どんな仕事でも構わないので、
とくかく海の仕事をさせまいと、指物師、煉瓦師、木材加工の挽物師、
真鍮(しんちゅう)細工師などが、仕事をしている所を見せた。

この時から、私は熟練した職人が 道具を使う姿を眺めるのが
楽しみになった。また、その時の見学は 役にも立っている。

おかげで、いろんな事を覚えることができ、家の中の小仕事ぐらいは、
職人が間に合わない時には、自分で出来るようになった。

 

また、何かの実験をしようという気持ちが、フツフツと湧いてきて、
その実験に必要な機械を作る事も自分で出来るようになったからである。

父は最後に刃物職に決定し、ベンジャミン伯父の息子のサミュエルが
ロンドンでこの職を覚え、丁度その頃 ボストンで商売を始めていたので、
そこへしばらく私を見習いに出した。

しかし、先方が請求する見習い料が割に合わないため、
父は、また私を実家に連れ戻してしまった。

幼い時から私は本を読むのが好きだった。

そのため、ほんのわずかに貰えるお金は、全て本代に使った。
「天路歴程」が気に入ったので、私はまず、小型の分冊本で
バニャンの著作を集めた。

 

その後、この本を売って Rバートンの著書を購入したのだが、
それは行商人が売り歩く、小さな安本で全部で4.5冊あった。

父の、ほんのささやかな蔵書は、主にキリスト教の弁証神学に
関するものであったが、それもほとんど読みつくした。

もう、牧師にはならないと決定したのだから、
こんなに知識に飢えていた時代に、もっと有益な良書を入手していたら…
と、私はときどき後悔した。

それらに混じってプルタークの「英雄伝」もあったのだが、
私はこの本を気に入り、毎日読みふけっていた。

 

だが、この プルタークの「英雄伝」を熟読するに使った時間は、
私にとって、人生を変えるほど有益だったと考えている。

ほかにデフォーの企業論、マーザー博士の「善を為すの論」があり、
この2冊は私の既成概念を覆し、後に起こる生涯の重要事件のあるものに
影響するところがあったと思われる。

この、本好きの性質を見抜いた父は、私を印刷屋にすることに決めた。

この商売には、すでに息子が一人(ジェイムズ)行っていたのだが、
1717年 私の兄ジェイムズは、印刷機と活字をイングランドから
持って帰り、ボストンで商売を開始していた。

私は、父の商売よりもこの印刷の仕事が気に入っていたのだが、
海への憧れの気持ちは、つねに抱いていた。

その憧れの気持ちが嵩じたら…と心配に思った父は、
しきりと、私を兄のところで年季奉公させようとしたのである。

私はしばらくは頑張ってみたが、とうとう説得させられてしまい、
年季契約書に署名することになった。

この時 私はまだ12歳であった。

 

契約書によると、21歳になるまで見習の資格で働かなければならず、
最後の1年だけは、一人前の職人並みの給料が貰えることになっていた。

しばらくすると、私は仕事をこなせるようになり、兄にとっては、
片腕とも言える存在の人材になった。

これまでよりも、素晴らしい良書に出会える機会も多くなった。
本屋のスタッフと仲良くなったので、時々 小冊子を借りることもできた。

借りた本は早く返すように、また汚さないように注意した。

本が無くなっているのに気付かれたり、入用が起こったりすると
いけないので、夜に借りて早朝に返す時には、自分の部屋で
夜通しで読み明かした事も度々あった。

 

そのうち、マシューアダムズ氏といって、私たちの印刷所に
時々やってくる、頭のいい商人で 相当の書物を所有している人が
私に目を留めて、自分の書物を見に来るように誘ってくれた。

そして、「読みたい本があったら貸してあげよう」と
大変に、親切に言ってくれた。

私はそのころ、詩が大変好きになり 短い詩をいくつか書いた。

それを見た兄は、「これはお金になる!」と思い、
私をもちあげては、時々 小唄をつくらせた。

その内の1つは 船乗りの唄で、「黒髭」というあだなで知られた
海賊ティーチ(カリブ海を荒らしていた有名な海賊)が
つかまったことをネタにしたものであった。

どちらも低レベルの流行歌風の代物だったが、
印刷ができると 兄は私を町へ行かせては、売らせた。

 

最初は 事件が真新しく大評判になっていた時だったので、
次から次へと飛ぶように売れた。

この成功で有頂天になっていると、父は、私の作品を馬鹿にして、
さらには、「歌作りは 大体が乞食のようなものだ」と言われたので、
私は肩を落とし ガッカリしてしまった。

そのおかげで、私は詩人にならずにすんだのだが 詩人になっていたら、
間違いなく売れない詩人になっていたに違いない。

しかし、文章を作ることは、世の中を生きる上で大変役に立ち、
出世の主要な手段ともなった。

だから私が、このような状況からどのようにして文章力を
身につけたのか? そのことについて、1つ話してみよう。

<亡き両親に捧げた愛の名言 / 文章の表現力アップ法>

by 上田真司

このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク livedoorクリップ Yahoo!ブックマークに登録

以下の記事も読むと、さらに成功習慣が身に付きます

タグ

トラックバック&コメント

この投稿のトラックバックURL:

コメントをどうぞ

このページの先頭へ