貧乏から脱出し巨万の富を築いた男の物語


【其の3】貧乏から脱出したフランクリンのヒストリー

祖父には、無事成人した息子が4人いた。

そう。トマス、ジョン、ベンジャミン、ジョサイアだ。

この4人については、今 書類が手元にないため
覚えている事だけを話すとしよう。

私の留守中に書類が紛失していなければ、ウイリアムも
それを読めばもっといろいろ分かるはずだろう。

一番年上の伯父トマスは、祖父のもとで鍛冶を仕込まれたが、
頭の回転が速く賢かった上に、有力者でもある郷土パーマーという
人に励まされて学問をおさめたため、公証人の資格を取得した。

※公証人とは?
法務局または地方法務局に所属し、公証人役場で職務を行い、
法務大臣の監督を受ける。

 

国家から給与を受けず、嘱託人から受ける手数料収入によって
事務所の経営その他いっさいの経費をまかなっている。

そのため、州でもかなりの人物になった。

彼は、ノーサンプトンの州および町、また自分の村に
みずから主唱して、各種の公共事業を行ったがこれについては、
話がいくつも残っているのでご紹介しよう。

彼は、まだ当時のハリフォックス卿(政治家でのち首相)に
大変気に入られ、愛情をたっぷり受けた。

この伯父は1702年、旧暦の1月6日、私の生まれる
丁度4年前にこの世を去った。

今も鮮明に覚えているが、あの、エクトンで老人たちが
話してくれた、伯父の経歴と性格が、私の経歴と性格に
あまりにも酷似していたので、これは実に珍しいことだ!

といって、ウイリアムは驚いていたね。

そして、次のように語ったものだ。

もし、伯父さんが4年後の同じ日に亡くなったとしたら、
周りの人は、それこそ生まれ変わりだと思うでしょう

 

次の伯父ジョンは、記憶が確かなら 染物屋に仕込まれた。

ベンジャミン伯父は、ロンドンで年季奉公をして
絹物の染師に仕込まれた。なかなか器用な人だった。

私が子供のころは、ボストンに住む父親の家に来て、
数年間、一緒に暮らしたことがあるので、
私は この伯父の事をよく覚えている。

非常に長生きした人だった。

孫のサミュエルフランクリンは、いまボストンに住んでいる。

 

伯父は、友達や親せきの人たちに 呼びかけた際に作った短い詩を、
原稿のまま4つ折りにした状態で、2冊も残して亡くなった。

その、次にあげるのが見本の1つでもあるのだが、
これは、私宛に送ってくれたものである。

彼はまた、オリジナルの速記術を考案し、私に伝授してくれたが、
一向に練習しなかったため、すっかり忘れてしまった。

私が、この伯父の名前を譲り受けたのは、
父と特別に仲が良かったからだ。

大変信心深い人で、一流の牧師の説教と聞くと 毎回出席しては、
得意の速記術で書き写していたが、気がつけば 膨大な量となり、
いつしか数巻の説教集ができ上がっていた。

彼はまた、大の政治ファンであり、その政治熱は身分から言えば、
少しばかり 度が過ぎるものであったそうだ。

 

私は最近、この伯父が探し集めた 1641~1717年に及ぶ、
公共問題に関する 主要な政治上のパンフレットが揃った
コレクションを、ロンドンで手に入れることができた。

番号を調べてみたところ、相当な数の番号が欠けているのを
発見したのだが、それでも2つ折判で8冊、4つ折りものだが、
この本屋で 時々購入するので、私のことを知っていたのだ。

思い起こせば50年前、伯父はアメリカへ渡るにあたって、
このコレクションを ロンドンへ残して行ったに違いない。

欄外には 所々ではあるが、伯父の書き込みがみられる。

この 名もない私たち家族は、早くから宗教改革の運動に加わり、
メリー女王の治世中も、カトリック教に反発していたため、
処罰を受ける可能性が高かったにもかかわらず、新教徒で通してきた。

 

家には、英訳聖書が一冊あったのだが、没収されないように
隠すため、開いたまま 組み合わせ式 腰掛の裏側のカバーの中に
紐で結びつけていた。

私の祖父の またその祖父が、家族の者に向けて読む時には、
その腰掛を逆さまにして、膝の上に乗せては
紐の下でページをめくっていたのである。

子どもたちの中の一人は、ドアの入口の前に立っては、
宗教裁判所の下役人である【送達吏(そうたつり)】の見張りをしていた。

送達吏(そうたつり)とは?

裁判所からの訴訟関係の書類を送達する
執行官・郵便集配人などの総称。

 

来たゾ!と合図があれば、腰掛は元の状態にひっくり返し、
聖書は、前の通り裏側に隠れてしまうという仕組みである。

私はこの話を、ベンジャミン伯父から聞いた。

家族は、チャールズ2世の在位期間の末ごろまでは
みんな英国国教会に所属していたが、そのころ国教を
命じるために説教壇を追われた牧師の中に、
ノーサンプトンシャアで秘密集会を開いていた者があり、
ベンジャミン伯父と、私の父ジョサイアはそれに信仰し
その後、一生涯変わることはなかった。

その他の家族は、監督教会に留まった。

私の父は若くして結婚し、1682年のころ、
妻と三児を引き連れて ニューイングランドに引っ越す事になり、
父も説得されて、一緒に行く事にしたのである。

ニューイングランドに行けば、自分たちの信仰のために
働き尽くすことができると、考えたからである。

 

引っ越した後、父は同じ妻からさらに4人、
2度目の妻からまた10人、述べ17人の子を授かった。

その中の13人が父を囲んで、同じ食卓で食事をしていたのを
私は今でも鮮明に覚えているが、この13人は成人して家庭を持った。

私は男の子の中では一番末、下から教えて3番目の子供で、
ニューイングランドのボストンに生まれた。

<貧乏な少年時代 / 貧乏生活秘話>

by 上田真司

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