フランクリンの貧乏な少年時代。


【其の2】フランクリンの貧乏時代。

ご先祖様たちの逸話を集めることは、どんな小さい逸話でも、
昔から私にとって、とても楽しいことでした。

ウイリアム(フランクリンの息子)が覚えているかどうか、
分からないが、私がウイリアムと一緒にイングランドへ出かけた時、
親類の者について調べたり、旅行したりしたのもそのためだったのだ。

同じように、ウイリアムにとっても、私のこれまでのことを
知るのは嬉しいのではないか、と思う。

そのほとんどは、ウイリアムも知らないことばかりだから。

 

それに、今の私は、人里離れたド田舎に住んでいて、
この一週間は ずっと暇だった。

だから、その時間を使って ウイリアムのために、
何か1つ書いてみようと思って机に向かったのである。

もちろん、この仕事をやってみようと思った理由は他にもある。

私は、貧乏で卑しい家に生まれ育った。

しかし、そんな貧乏な境遇から身を起して 巨万の富を築き、
ある程度、世間に名を知られるようになり、
しかも この歳まで、かなりの幸運に恵まれてきた。

だが、子孫の者からすれば、貧乏な境遇から成功したその方法。

それは、神様のおかげで貧乏から脱出し 大きな成功を収めたが、
その中には、今の自分の境遇にも役立ち、マネすれば良いのでは、
と考えられるものもあるだろう。

 

私は、この幸運な生涯を振り返り、時に、
次のような事がいいたくなる。

もし、自分の好きにしても良いと言われたなら 私は、
今までの人生を、最初から繰り返すことに少しも異存はない。
ただし、作家が初版の間違いを、再版で訂正する
あの都合の良さだけは与えて欲しいと思う

そうした 都合の良さを与えらたならば、ただ 間違いを訂正するだけでなく、
生涯の具合の悪い出来事を、具合の良いものに変えることができるからだ。

しかし、例え この願いが叶わなかったとしても、やはり私は、
同じ人生を繰り返せ、と言われたら快く受け入れるつもりである。

とは言うものの、こうした人生を繰り返すことは 到底 叶わぬことだから、
その次に、1つの人生を繰り返すことに最も近い事はと言えば、
人生を振り返り、そして、思い出した事を書き綴って
後世に語り継がれる物にすることではないか、と思う。

それにまた、そのような物を 書き綴ることによって、
老人によくある、身の上話や 自慢話をしたがるその癖を、
満足させることが できるであろう。

 

とはいえ、そんな癖が出たにしても、読もうと読むまいと
それは、各人の勝手なので、老人の言う事だから聞いてやろう、
と思ってくれる読者には、ウザく聞こえはしないだろう。

それから最後に、自分の自惚れを 大いに満足させることが
できるであろう。

よく出だしの文句で 「自分は少しも自惚れることなく言うが」
といって断る人もあるが、そんな人に限って、
直ぐ後に、自惚れだらけのスピーチが 続くものである。

ほとんどの人は、自分がどんなに自惚れ屋だとしても、
他人の自惚れを聞くのは嫌気がさすもだ。

しかし、私は 他人の自惚れ話を聞くと、いつもなるべく
これを寛大な目で見る事にしている。

なぜならば、自惚れというものは、その人にもまた、
その関係者にも、利益をもたらすことがあるからだ。

 

したがって、人生の他の様々な楽しみとともに、
自惚れを与えて下れたことに対して、神に感謝するとしても、
だからといって、必ずしも道理にかなったものとは限らない。

ついでに言わせてもらうと、上記のように 今までの私の幸運は、
全く恵み深い神のみ心によるもので、私は、神に導かれて
前に言った方法を発見し、それを有効に使う事が出来たのである。

このことを、私は重ねて強く言っておきたい。

そして、このように信じる所から、神の恵みが今も私の上に働いて、
この幸運が将来も続き、また 運命の逆転に出会うようなことがあった
としても、これを 耐え忍ぶことができると確信している。

これからの運命が どのようなものになるかは、
神のみぞ知るところであり、われわれに 災いを下すことも、
一つは 神の心いかんによるからである。

 

私と同じ好奇心から、一族の者の逸話を集めていた伯父がいる。

その伯父が、ある時、私に 覚え書きを渡してくれたのだが、
私はそれを読んで先祖について、いくつか知ることができた。

それによると、私の先祖はノーサンプトンシェアのエクトンという村に、
30エーカーばかりの自由保有地を持っており、
少なくとも3百年間はそこに住んでいたと言われている。

エーカー(acre, 記号:ac)と、ヤード・ポンド法の面積の単位である。
現在の定義ではおよそ0.4ヘクタールの面積となる。

 

それ以前、どのぐらい住んでいたのか、それは伯父にも分からない。

しかし、地所だけでは生計を立てる事は困難なため、
片手間で鍛冶屋を仕事にしていた。

この職業は、昔から我が家に伝わっており 伯父の代まで続いている。
その鍛冶屋の仕事を、長男は引き継いで仕事をしていた。

私は、エクトンへ行って戸籍簿を調べてみたのだが、
1555年以降の出生や、結婚、埋葬の記録が残っているだけで、
それ以前の記録は、そこの区域には保存されていなかった。

それでも、その戸籍簿で、私が五代前から末子の末子で
あることが分かった。

 

祖父のトマスは、1598の生まれで エクトンに住んでいた。

しかし、歳をとり 稼業ができなくなると、オックスフォードシャアの
バンベリで、染物屋をしていた息子のジョンの家に身をよせたのである。

この、ジョンのところで私の父は年季奉公をしたのである。

年季奉公とは?
雇用者との契約の下に一定期間働く制度の一形態である。
多くは住み込みで食糧や日用品は支給されたが、
給与が払われないか払われたとしても極く僅かなものであった。
(引用:ウィキペディア)

 

そして、祖父はこの地で最期を迎えて埋葬された。

ウイリアムも、私と一緒に1758年にその墓を見ている。

祖父の長男トマスは、エクトンの家に住み、
それを土地とともに、一人娘に残した。

この娘は、ウエリンバラのフィッシャアという男と
結婚していたが、のちに、家も 土地も、現在の領主である、
アイステッド氏に売り渡してしまったのである。。

祖父には、無事成人した息子が4人いた。

そう。トマス、ジョン、ベンジャミン、ジョサイアだ。

この4人については、今 書類が手元にないため
覚えている事だけを話すとしよう。

<フランクリン自伝トップ / 貧乏から脱出し巨万の富を築く>

by 上田真司

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